大判例

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最高裁判所第二小法廷 昭和53年(行ツ)72号 判決 1983年9月09日

上告人

株式会社

久保商店

右代表者

久保士朗平

右訴訟代理人

尾崎正吾

松本昌道

被上告人

四谷税務署長

田代茂

右指定代理人

古川悌二

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人尾崎正吾の上告理由について

所得税法(以下「法」という。)において、退職所得とは、「退職手当、一時恩給その他の退職により一時に受ける給与及びこれらの性質を有する給与」に係る所得をいうものとされている(三〇条一項)。そして、法は、右の退職所得につき、その金額は、その年中の退職手当等の収入金額から退職所得控除額を控除した残額の二分の一に相当する金額とする(同条二項)とともに、右退職所得控除額は、勤続年数に応じて増加することとして(同条三項)、課税対象額が一般の給与所得に比較して少なくなるようにしており、また、税額の計算についても、他の所得と分離して累進税率を適用することとして(二二条一項、二〇一条)、税負担の軽減を図つている。このように、退職所得について、所得税の課税上、他の給与所得と異なる優遇措置が講ぜられているのは、一般に、退職手当等の名義で退職を原因として一時に支給される金員は、その内容において、退職者が長期間特定の事業所等において勤務してきたことに対する報償及び右期間中の就労に対する対価の一部分の累積たる性質をもつとともに、その機能において、受給者の退職後の生活を保障し、多くの場合いわゆる老後の生活の糧となるものであつて、他の一般の給与所得と同様に一律に累進税率による課税の対象とし、一時に高額の所得税を課することとしたのでは、公正を欠き、かつ社会政策的にも妥当でない結果を生ずることになることから、かかる結果を避ける趣旨に出たものと解される。従業員が退職に際して支給を受ける金員には、普通、退職手当又は退職金と呼ばれているもののほか、種々の名称のものがあるが、それが法にいう退職所得にあたるかどうかについては、その名称にかかわりなく、退職所得の意義について規定した前記法三〇条一項の規定の文理及び右に述べた退職所得に対する優遇課税についての立法趣旨に照らし、これを決するのが相当である。かかる観点から考察すると、ある金員が、右規定にいう「退職手当、一時恩給その他の退職により一時に受ける給与」にあたるというためには、それが、(1) 退職すなわち勤務関係の終了という事実によつてはじめて給付されること、(2) 従来の継続的な勤務に対する報償ないしその間の労務の対価の一部の後払の性質を有すること、(3) 一時金として支払われること、との要件を備えることが必要であり、また、右規定にいう「これらの性質を有する給与」にあたるというためには、それが、形式的には右の各要件のすべてを備えていなくても、実質的にみてこれらの要件の要求するところに適合し、課税上、右「退職により一時に受ける給与」と同一に取り扱うことを相当とするものであることを必要とすると解すべきである。

これを本件についてみると、原審の適法に確定したところによると、(一) 上告人の従業員給与規程一五条は、「退職金は左の場合に支給する。」と規定し、「四、勤務年数が会社設立後又は本人の就職後満五か年、爾後満五か年を加算した時期が到来した場合」との事由を掲げており、本件係争の退職金名義の金員は、右規定に基づいて支払われたものである、(二) 右の規定が設けられたのは、昭和四〇年ころ、中小企業が営業を停止し退職金を支払わずに従業員を解雇する事例が相次いで起こつたところから、同年一二月ころ、上告人の従業員労働組合から上告人に対し、三年の期間ごとに退職金に相当する金員を支払つてほしい旨の申入れをし、設立後五年未満であつた上告人が、遡及支払手続を要しない五年間で勤務期間を区切り、就職五年ごとに退職金名義で手当を支給するために、給与規程を改正したものであり、これにより、営業停止による解雇の場合の退職金の支払を実質上前払の形で保障し、併せて、営業停止の際の退職金支払に要する経理上の負担を軽減することとしたものである、(三) 右改正された給与規程には、退職金の財源確保として中小企業退職金共済制度による掛金をすることとするほか、退職金の算定について定めた規定(一六条)が存し、また、「第一五条第四項により退職金を支給した場合は従来の在職年数は打切り既往の在職年数は在職年数には算入しないものとする。第一五条第四項の場合は第一六条に規定する中小企業退職金共済制度による退職金は支給せず、爾後に継続するものとする。」との規定(一七条)が存する、(四) しかし、五年の勤務期間を経過して本件退職金名義の金員の支給を受けた者は、その機会に自らの意思で退職する者を除いては、改めて再入社のために一般の入社の場合における所要の手続等を経ることもなく、従来のままの就労を継続している、(五) また、右の者の賃金その他の労働条件も、従前のそれと全く変ることがなく、年次有給休暇については、新たに入社した者に対しては、その入社年度にはこれを与えないものとしているのに、五年の勤務期間を経過して退職金名義の金員の支給を受けた者に対しては、右期間経過後の初年度には、未使用有給休暇日数の次年度繰越が打切られるのみで、六日分の休暇が与えられることとされている、(六) 中小企業退職金共済制度については、新たに入社した者の掛金は就職後満一年を経過してからこれを払い込むこととしているのに、五年の勤務期間を経過して退職金名義の金員の支給を受けた者については、右期間経過後の初年度から掛金を払い込んでおり、また、右勤務期間を経過した者で右制度による退職金の受給申請をした者はなく、この関係では従前の勤務期間は通算するものとして取り扱われている、(七) 従業員として身分を失う事項を定めた就業規則一七条の規定中には、給与規程により五年ごとに退職金名義の金員を受領した者がその際に従業員としての身分を失う旨の定めはなく、また、同一八条では、「従業員の停年は満五五歳とする。」旨を定めて、定年までの身分を保障している、というのである。

右事実によると、上告人がその従業員に対し五年の勤務期間を経過するごとに支給する退職金名義の金員は、少なくとも、既往の右の期間における勤務に対する報償ないしその間の労務の対価の一部の後払という趣旨以外に特段の趣旨を有するものではないということができるが、他方において、右金員の支給を受けた従業員は、一たん退職したうえ再雇用されるものではなく、従前の雇用契約がそのまま継続しているものとみるべきであり、また、右金員支給の基礎となる五年の期間は、その経過によつて勤務関係を確定的に終了させるという意図から設けられたものではなく、むしろ、将来勤務関係が確定的に終了する際に支給される退職金を実質的に前払いするための計算の便宜上定められたものにすぎず、五年という年数にそれ以上に特段合理的な根拠があるわけではないとみるべきであつて、これらの点を考慮すると、右金員は、前記(1)の要件である、勤務関係の終了という事実によつてはじめて給付されること、という要件を欠くことは明らかであつて、法三〇条一項にいう「退職手当、一時恩給その他の退職により一時に受ける給与」にはあたらないものというべきであり、また、実質的にみても、右の要件の要求するところに適合し課税上右の給与と同一に取り扱うことを相当とするものということは困難であつて、同条同項にいう「これらの性質を有する給与」にもあたらないと解するのが相当である。

もつとも、このように解した場合には、上告人の従業員は、確定的に退職し雇用関係から最終的に離脱する際に支給される退職金を除いては、勤続満五年ごとに支給される退職金名義の金員につき、課税上優遇措置を受けられないことになるが、上告人及びその従業員が前記のような給与方式を選択した以上、このような結果となるのはやむをえないことというべきである。また、退職金の支払の確保及び右支払時における経理上の負担の軽減を図るためであれば、他に方法がないわけではないから、単に実際上の必要があるということから、本件退職金名義の金員の性質につき前記と異なる解釈をとるのは、相当でないといわなければならない。

以上のとおりであるから、本件退職金名義の金員にかかる所得は、法三〇条一項所定の退職所得にはあたらないというべきである。これと同旨の原審の判断は、正当であつて、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(牧圭次 木下忠良 鹽野宜慶 宮﨑梧一 大橋進)

上告代理人尾崎正吾の上告理由

原判決には、所得税法三〇条一項の退職所得についての解釈適用を誤つた違法がある。

一、原判決は、所得税法三〇条一項にいう「退職により一時に受ける給与」に該当するためには、「勤務関係の終止によつてはじめて生ずる給付であること」の要件に固執し、本件退職金が右の要件を欠き、結局のところの退職所得に該当しないと判示する。

(1) 然し乍ら、退職金といえども契約によつて発生するものであり、契約が存しない以上労働基準法上の解雇手当以外には、当然には退職金債権は発生しないのである。

(2) 本件退職金は、給与規程を改正し、労働組合の同意を得た上、労働基準監督署にもその届出をしたいわば労働協約である。

(3) 右労働協約により、はじめて従業員は退職金債権を取得するに至つたのであり、いわば所得税法上のいわゆる権利確定主義を充足するに至つたのである。

(4) 本件退職金は、納税者たる上告人の恣意によるものでもなく、租税回避の目的に出たものでもなく、もつぱら従業員の退職金の支払いを確保する目的から、従業員と使用者との協約によるものである。

(5) かゝる退職金は、退職所得の制度趣旨、協約が改定された経緯、税法上のいわゆる権利確定主義等に照らし、これを所得税法上の退職所得とすべきものであり、「勤務関係の終止」に固執すべき理由は毫も存しないのである。

(6) しかるに、「勤務関係の終止」がない以上、税法上の退職所得に該当しないとする原判決は、税法上の退職所得の解釈を誤つたものというべきである。

二、原判決は又、所得税法三〇条一項にいう「これらの性質を有する給与」とは、「課税上『退職により一時に受ける給与』と同一に取り扱うことを相当するものを指すものと解するのが相当」であり、「いわゆる実質主義の立場に立つ税法の解釈適用からも当然である」として、結局本件退職金は「これらの性質を有する給与」にも該当しないとしている。

(1) 本件退職金は、従業員が五年を経過した時点において、退職金を受領することを機に他に転職するか、それとも従前の経過年数は将来退職金計算に際し何ら加味されないことを甘受することを前提として、更に雇用関係を継続するかの二者択一の上支給されるものである。

(2) 賞与は勤務成績の評価如何によりその金額が決定されるが、本件退職金は五年を経過したという事実それのみによつて支給されるものである。

(3) 上告人の従業員はたとえ長年月勤続しようとも、五年間に対する打ち切り支給以外には、何らの退職金も支給されないのである。

(4) 以上のように、本件は実質的に見ても退職金であり、税法上の実質主義の原則にも何ら悖るものはないのである。

(5) しかるに、「これらの性質を有する給与」にも該当しないとする原判決は、退職金の解釈適用を誤つているものというべきである。

三、原判決は、上告人の主張する社会的必要性や相当性という理由だけでは、本件退職金を所得税法上の退職所得として取り扱わるべき退職手当等に含めしめることを相当とする理由とはなり得ないとする。

(1) しかしながら、我が国の人口の高齢化に伴い、企業の従業員の高齢化も進み、それにつれて企業の退職金負担が増大し、退職金倒産の危険が叫ばれ、各企業ではこれが対象を迫られていることは公知の事実である。

(2) 上告人の退職金制度は右の時代の趨勢を先取りしたものである。勤続年数が長年になるにつれて、加算額が増加し、それを一時に支払うとすれば、上告人の如き中小企業に於ては到底支払い得べからざる金額となることは必然のことである。

(3) 勤続年数により加算額が増加された将来の停年後の退職金制度よりも、何時倒産してこれが画餅に帰するやも知れない上告人の如き小企業の従業員は、今日の確実な受取りを要求し、退職金倒産の危険を予防する手段として、いわば時代を先取りした中小企業主と、その従業員とが期せずして編み出した「生活の知恵」が本件の如き退職金制度となつたのである。

(4) 従業員がいくら長年勤続したとしても、それ以前の勤務年数は一切加味されないのである。勤続年数に応じて加算額が増大する退職金とは異るものがあるが、それ以前の勤務年数が一切加味されない本件の如き退職金制度もあつて然るべきであり、かゝる退職金も社会一般通念上の退職金の性格を有するものとして、税法上の退職所得に該当するものというべきであり、「勤務関係の終止」に拘泥すべきいわれは毫も存しないのである。

(5) 然るに、本件退職金を「所得税法上の退職所得として取り扱われるべき退職金手当等に含めしことを相当とする理由とはなりえない」とする原判決は、ひつきよう所得税法上の退職金の解釈適用を誤つたものとのそしりはこれを免れない。

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